白山神社/東京都/日本
Hakusan-jinja/Tokyo/JAPAN
滲む灰色の雲 冷たくなった肩 つるつるのマンホール
揺れる水たまりの向こうに 傘の列
しとしと しとしと 雨の織りなす宇宙に
濡れても平気な小さな花火が 鮮やかに 咲いている
ずっと そこに いたんだね
揺れる水たまりの向こうに 傘の列
しとしと しとしと 雨の織りなす宇宙に
濡れても平気な小さな花火が 鮮やかに 咲いている
ずっと そこに いたんだね
「ガクアジサイ」というのでしょうか、深緑色の夜空に咲いた花火みたいですね。 |
紫陽花の話の前に、ちょっと桜の話を・・・。
以前、通勤でJR東海道線を利用していたことがある。
毎朝、横浜から東京へと向かうのだが、春には、車窓から たいへん美しい桜が、各所で見られた。
周辺一帯を艶やかに染める桜の密集地もあれば、下車して歩いてみたくなるような、いい感じの桜並木もある。
そして、家と家の合間や 街角に、ポツネンと輝いている一本桜もある。
たくさんの桜が集まった場所は、動いている電車内から見ていても花見気分になれるほど、華やかで魅力的。
しかし、私はどちらかというと、独りで花を咲かせている、そんな桜の木が気になってしまう。
「へぇ、あんな所に桜があったんだぁ」
1年のうちのほとんどの期間、そこに桜があることなんて全く気づかずに、毎日毎日、ぼんやり車窓を眺めている。
一本の桜が美しい花を咲かせたとたん、突如その存在を知らされることになるのだ。
人はいつも、花しか見ていないのか・・・。
この時期以外、存在感を消している紫陽花
それでも桜の場合、その木自体も立派なものが多い。
桜の木がそこにあると認識されてしまえば、1年のうちの 花の無い期間、例えば冬でも、木自体が存在感を保っている。
ところが紫陽花は違う。
秋、冬、春と、花だけでなく からだ全体で、その存在感を ほぼ消している。
よく見れば、枯れた株のような物が土から出ているのはわかるが、ほとんど目に留まることはない。
それが、桜が終わり、人々が深緑に目を奪われているあたりから、ぐんぐんと成長し、元気に茎を伸ばし、青々とした葉を広げ、ついには 色とりどりの花を咲かせる。いくつもいくつも、一斉に。
そこで人は、「へぇ、こんな所に紫陽花があったんだぁ」と、いうことになる。
白山神社(東京都文京区) |
あじさいまつり
「文京あじさいまつり」が催されていると伺い、先日、白山神社(東京都文京区)へ行ってみました。
たくさんの人、そして、たくさんの紫陽花。
人は「花」が好きなんでしょうね。そして「祭り」も好きなのでしょう。
美しい花の名前を冠した祭りとなれば、多くの人がやって来ます。
かく言う私もその一人。
恐縮ながら、「あじさいまつり」の名を目にしていなければ、果たしてこの地を訪れたかどうか・・・。
多くの人の訪問に、参道近くの喫茶店は、いつにないような雰囲気で、とっても忙しそうにしていました。
白山神社の神様も、お祭り期間中はたくさんの人が押し寄せて、お願いごとを聴くのが大変だったかもしれませんね。