2018-10-21

スロヴェニアとの国境の町「ムッジャ」。独特な形のファサードを持つドゥオーモが迎えてくれる。 【イタリア旅】

ジュリエルモ・マルコーニ広場(Piazza Guglielmo Marconi)の賑わい。
Piazza Guglielmo Marconi

ムッジャ/フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア/イタリア
Muggia/Friuli-Venezia Giulia/ITALIA


町の中心、ジュリエルモ・マルコーニ広場(Piazza Guglielmo Marconi)の東側に、ひときわ目を引くファサードを持つ、サンティ・ジオヴァンニ・エ・パオロ教会(Chiesa dei Santi Giovanni e Paolo)が建っている。

目立つのは、それが金ピカであるとか、派手だからというのではなく、その形がとても珍しいからだ。
「ひょうたんの上部型」と言ったらよいのだろうか、また、あるいはその形を例えれば、「キン肉マン」の胸像シルエットに見えなくもない。頭部と、僧帽筋の盛り上がった肩のライン・・・。
この柔らかい曲線が、とても印象的なのだ。

この形は、この辺りの建物の特徴なのだろうか?
しかし、近郊の都市トリエステでは、訪ねてみた限り、同形状のファサードを持つ教会はなかった。

そこで、もしかしたら、隣接するスロヴェニア(Slovenija)の町にある建物の様式なのかも? と考えた。

しかし、近隣のスロヴェニアの町、コペル(Koper)やイゾラ(Izola)、ピラン(Piran)にも、同様のファサードを持った建物は見あたらない。

んー、確信は持てないが、この形、ムッジャ特有のものなのか・・・。
何だか可愛らしくて好感が持てる。


ステンドグラスが美しい、ムッジャのドゥオーモ内部の様子。
ムッジャのドゥオーモ、「サンティ・ジオヴァンニ・エ・パオロ教会」内部の様子

さて、スロヴェニアのことをちょっとだけ書いたが、この町「ムッジャ」の南の町境は、同時にスロヴェニアとの国境でもある。

ユーゴスラビアが崩壊する前、つまりスロヴェニアがユーゴ連邦の一国家であった1992年ころまで、おそらくここは、とても緊張感のある地域であったのではないかと想像する。

東西冷戦と呼ばれる世界の中で、東側と接する、西側最前線の町だったからだ。
あれから およそ四半世紀。いつ頃からそうなったのかは知らないが、今ではあっさり国境を越えることができる。

幹線道路沿いには、無人となった国境管理ゲートの地味ぃな建物が残っていて、「ああ、ここが国境なんだ」とはっきり判る。
また、ムッジャの町の中心から1㎞ほど南下してゆくと、長閑な宅地が広がる山間の道路上で、知らぬうちに国境を越えてしまう。

もちろん今現在でも、地球上にはとても緊張感のある国境がたくさんあるわけだが、地面の上の国境を持たない日本の国で育った私たちにとって、国境を目の当たりにすることは、とても興味深いことでもあり、一方で、深く考えさせられることでもある。

「ダンテ・アリギエーリ通り」に続く町の入り口の門。
トリエステから、船ではなく車やバスで訪れた場合、町の入り口はこの門になる。



【 行き方 】
・トリエステ中央駅(Trieste Stazione Centrale)から、バスで約40分。
・トリエステ、ベルサリェーリ埠頭(Molo dei Bersaglieri)から、船で30分。

 【主な見どころ】
・Chiesa dei Santi Giovanni e Paolo (サンティ・ジオヴァンニ・エ・パオロ教会)
・Piazza Guglielmo Marconi (ジュリエルモ・マルコーニ広場)
・Castello di Muggia (ムッジャ城)
・Centro Storico di Muggia (ムッジャ旧市街)

【 参考サイト 】
Comune di Muggia (ムッジャ市)
Trieste Trasporti (トリエステ交通)

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