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Le Marche des Enfants Rouges, Paris |
「恵方巻」がこんなにも日本社会を席捲するようになったのはいつの頃からだろう。
とにかく売れるからと、作りに作って余った分は廃棄処分。これが近年問題になっているらしい。
「ハロウィン」はどうか。
おばけカボチャや 仮装グッズが大量に販売されるなど、「ハロウィン」本来の意味はそっちのけで(私もよく知りません)、盛り上がりを見せ出したのは、ここ数年のことではなかろうか。
考えてみれば、この手のものが日本には多い。
宗教行事やイベントごとを海外から輸入して独自の形で定着させたり、元々潜在的にあったものや、地方にあった行事をブームにして広めたり。
「クリスマス」や「バレンタイン」に「ホワイト・デイ」、「母の日・父の日」などもそうかもしれない。
最近は若干下火となった「ボージョレ・ヌーヴォー解禁!」ってやつも、この種のイベントの一つだろう。
大量廃棄が問題となった恵方巻や、大騒ぎして公衆に迷惑をかけてしまうイベントのように、加熱し過ぎはどうかと思うが、感謝や愛情を伝えたり、皆で楽しんだりする日があるのは、決して悪いことではない。
ある種の力や策謀に「踊らされている」のが実情なのかもしれないが、それにより 世の中が潤い、回っているというのもまた事実。
まぁそこは「踊らされて やっている」と、幼子の訴えに応えるかのように、ほどほどに「踊り」を楽しもうではないか。
5月1日、フランスでは 愛する人にスズランを贈る。
愛する人と言っても、それは恋人や夫婦に限らず、家族や友人なども含めた広い意味での愛する人や親しい人。
普段から 花を贈る習慣はあるものの、「感謝」とか「お祝い」とか 特別な感じではなく、花言葉にもある「幸福」を相手に贈るといったスタンス。
豪華な花束と比べ、安価で 見た目も可愛らしく 大袈裟にならないので、「気軽に」贈れるのが とても好い。
翻って日本の場合、市井の人々のあいだで、気軽に花を贈る習慣が定着しているとは言えない。
と言うのも、例えば、フランスやイタリアの街なかや 駅、バス停などで、おじさんが花束を持っていると、それは明らかに「奥さんや恋人などへ、プレゼントとして買ったもの」に見える(←ほぼ、当たっている)。
しかし、日本の街なかや 駅、電車の中で 大きな花束を持っている おじさん を見ると、「送別会だったんだろうなぁ。転勤(退職)か・・・」となる。
そんな日本だからこそ、仰々しく感じさせることのない、可憐な「スズランの花束」は、気軽に贈ることのできるアイテムとして、有効に活用できるのではないだろうか。
街角の花屋さんや コンビニなどで扱っていれば、気軽に買い求め、家や会社へ持って行ける。
デートや 遊びの最中に、ちょいと買って相手に渡すこともできる。
大人だけではない。
お小遣いの無い小さな子どもでも、庭や道端に生えているスズランを摘んで(他人の家の庭のはダメですよ。それに、都会では難しいですかね。)、ママやパパ、好きな子、お友達にプレゼントできる。
あ、でも、お金が動かなければ、ブームになるのは 難しいのかな・・・。
話をフランスに戻す。
5月1日とその前後、大量のスズランが花屋さんで売られるのだが、売っているのは花屋さんだけではない。
夏場の観光地で水のペットボトルを売るように、束ねたスズランをバケツ一杯に入れて売っている人たちがいる。
パリの場合、特に地下鉄の出口など、人通りが多いところには必ずと言ってよいほど。
フランスでは、町の近郊に広大な森が広がっている場合が多い。
スズランもたくさん自生しているので、この日に合わせて摘んで来て、売っているようなのだ。
清楚で可憐なスズランの花が街にあふれ、花に託された優しい思いが 人々のあいだを行き来するのを感じるのは清々しい。
それに、例えば、マルシェの片隅で 静かにお店を出している お祖母ちゃんと孫、といった姿は見ていて微笑ましく、「一束もらえますか?」などと、言いたくなる。
しかし、通りすがりのマダムやムッスュにしつこく声をかけ、ここぞとばかりに小遣い稼ぎをしようとする子ども達が いるのも確か。
背後に 親がついていることもある。
あまりにもしつこく営業されるのは、気分の良いものではないが、それはスズラン売りに限ったことではないので、まぁこの日に限ってはしょうがないのかな。。。
Bonne Fête du Muguet !(ボンヌ・フェット・デュ・ミュゲ)
皆さんに、幸せが訪れますように‼
「ハロウィン」はどうか。
おばけカボチャや 仮装グッズが大量に販売されるなど、「ハロウィン」本来の意味はそっちのけで(私もよく知りません)、盛り上がりを見せ出したのは、ここ数年のことではなかろうか。
考えてみれば、この手のものが日本には多い。
宗教行事やイベントごとを海外から輸入して独自の形で定着させたり、元々潜在的にあったものや、地方にあった行事をブームにして広めたり。
「クリスマス」や「バレンタイン」に「ホワイト・デイ」、「母の日・父の日」などもそうかもしれない。
最近は若干下火となった「ボージョレ・ヌーヴォー解禁!」ってやつも、この種のイベントの一つだろう。
大量廃棄が問題となった恵方巻や、大騒ぎして公衆に迷惑をかけてしまうイベントのように、加熱し過ぎはどうかと思うが、感謝や愛情を伝えたり、皆で楽しんだりする日があるのは、決して悪いことではない。
ある種の力や策謀に「踊らされている」のが実情なのかもしれないが、それにより 世の中が潤い、回っているというのもまた事実。
まぁそこは「踊らされて やっている」と、幼子の訴えに応えるかのように、ほどほどに「踊り」を楽しもうではないか。
実は一つ、先々の日本で、ブームになることもあり得るのではないか、と勝手に想像するイベントがある。
それが、5月1日の「スズランの日(Jour de Muguet)」だ。
花を贈る習慣の少ない日本だからこそ・・・
5月1日、フランスでは 愛する人にスズランを贈る。
愛する人と言っても、それは恋人や夫婦に限らず、家族や友人なども含めた広い意味での愛する人や親しい人。
普段から 花を贈る習慣はあるものの、「感謝」とか「お祝い」とか 特別な感じではなく、花言葉にもある「幸福」を相手に贈るといったスタンス。
豪華な花束と比べ、安価で 見た目も可愛らしく 大袈裟にならないので、「気軽に」贈れるのが とても好い。
翻って日本の場合、市井の人々のあいだで、気軽に花を贈る習慣が定着しているとは言えない。
と言うのも、例えば、フランスやイタリアの街なかや 駅、バス停などで、おじさんが花束を持っていると、それは明らかに「奥さんや恋人などへ、プレゼントとして買ったもの」に見える(←ほぼ、当たっている)。
しかし、日本の街なかや 駅、電車の中で 大きな花束を持っている おじさん を見ると、「送別会だったんだろうなぁ。転勤(退職)か・・・」となる。
そんな日本だからこそ、仰々しく感じさせることのない、可憐な「スズランの花束」は、気軽に贈ることのできるアイテムとして、有効に活用できるのではないだろうか。
街角の花屋さんや コンビニなどで扱っていれば、気軽に買い求め、家や会社へ持って行ける。
デートや 遊びの最中に、ちょいと買って相手に渡すこともできる。
大人だけではない。
お小遣いの無い小さな子どもでも、庭や道端に生えているスズランを摘んで(他人の家の庭のはダメですよ。それに、都会では難しいですかね。)、ママやパパ、好きな子、お友達にプレゼントできる。
あ、でも、お金が動かなければ、ブームになるのは 難しいのかな・・・。
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Perpignan |
Bonne Fête du Muguet !
話をフランスに戻す。
5月1日とその前後、大量のスズランが花屋さんで売られるのだが、売っているのは花屋さんだけではない。
夏場の観光地で水のペットボトルを売るように、束ねたスズランをバケツ一杯に入れて売っている人たちがいる。
パリの場合、特に地下鉄の出口など、人通りが多いところには必ずと言ってよいほど。
フランスでは、町の近郊に広大な森が広がっている場合が多い。
スズランもたくさん自生しているので、この日に合わせて摘んで来て、売っているようなのだ。
清楚で可憐なスズランの花が街にあふれ、花に託された優しい思いが 人々のあいだを行き来するのを感じるのは清々しい。
それに、例えば、マルシェの片隅で 静かにお店を出している お祖母ちゃんと孫、といった姿は見ていて微笑ましく、「一束もらえますか?」などと、言いたくなる。
しかし、通りすがりのマダムやムッスュにしつこく声をかけ、ここぞとばかりに小遣い稼ぎをしようとする子ども達が いるのも確か。
背後に 親がついていることもある。
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Clermont-Ferrand |
Bonne Fête du Muguet !(ボンヌ・フェット・デュ・ミュゲ)
皆さんに、幸せが訪れますように‼